明日3/14、北陸新幹線開業!

北陸に最初に行ったのは、今から40年くらい前。
秋の連休に、ふらっと行ってみた。
その季節にはめずらしく、北陸地方に大型の台風が来ていた。
どういうルートで行って、どこに泊まったかは忘れたが、
能登半島の付け根、氷見から七尾…と、海岸線に沿って電車と路線バスを乗り継いだ。
能登島が見える内海は静かだったのに、翌日、日本海に出たら大荒れだった。

路線バスで金剛崎の灯台に着いた時は、風でふっ飛ばされそうになった。
その後、輪島を目指したが、そのバスに乗っていたのは、ワタクシを含め2人。
海岸線を走るバスが白い波の華をかぶるくらいの風である。

「風が強いのでこの先には行きません。後で迎えのバスが来ます。」
と、途中のバス停で降ろされた。
ええ〜っ? こんなところで降ろされても………。
海沿いを走るのは危険なので、そこで運行中止。
そのバス停に、どうやら山の中を行くバスがくるらしい。

はるか水平線のかなたから白波が足元まで打ち寄せてくる。
バス停には2〜3人の人がいたので、柱みたいなものにしがみついて、
その人達と、ふっ飛ばされないよう遊びながら、バスが来るのを待った。

(今考えると危険きわまりないことである。)

その場所の近くには、海沿いの道路に漁師さん(?)の家が並び、
風よけのために、竹で編んだ高い垣根が続いていた。
なかなかのいい風情である。(晴れてれば、ね)

山の中を走って、バスは輪島に着いた。
そこから「舳倉島」へ行こうと思ったが、能登でも数年に一度という悪天候。
当然、舳倉島へわたる船は欠航だった。
ザァ〜ンネン…。

それ以来、「舳倉島」という島の名がワタクシの頭の片隅にへばりついている。

今になって思うと、その頃の日本海側は、危険であった。
「行方不明者はK国による拉致だ」というビラが、当時もまかれていたが、
「まさか!」と気にも止めなかった。
それを取り上げた週刊誌も出ていたようだが、
まだその頃は、ワタクシは今のように“オッサン化”していなかったので、
本屋さんで(当時女性の裸も載っていた)週刊誌は買えなかった。

うら若き乙女の一人旅、当然、男から“お茶しよう”の声もかかったが、
そんなものはケ飛ばして、ズンズン旅を続けておりました。
今思えば、あいつら、もしかして、K国の特殊工作員であったかも。

そういう危険が無くなってしまった60過ぎの今、
明日から「舳倉島」は近くなるんだね。
さてっ、と。いつ行くか。